突然に申し訳ありません 私はつい昨日にそちら様のホームページを知った者なのですが 最初に見たときには 創価学会のみなさまへ という「メッセージ」に私の心は強い印象を覚えました 日蓮正宗と創価学会の話は世間に知られている話ですが 当事者の一方である日蓮正宗も創価学会を強く意識しているらしい ということをそのメッセージを見ることで知りました
ところが昨夜再び同じメッセージを開いたときには 内容が変わっていました 変わっていたというか 大半が削除されたように思えるのです そちら様では掲げていた 創価学会の皆様へ のメッセージに何か不都合な点でも発見されたのでしょうか?
ぶしつけな問い合わせであるやもしれません 申し訳ございません こういう問い合わせをいたしますのも メッセージの内容に私が関係しているのだろうか?思うことがあるからです 実は私 ネット上に自身の情報発信をするためにブログを持っております 昨日の朝 創価学会の皆様へ のメッセージを見た後に そのメッセージをリンクするとともに 関連する私の意見を書いたのです あるいはそのことを皆様がお知りになりメッセージの内容を変更されたのだろうか と勘ぐってしまうところが私の中にあるものですから 思い切って正面から尋ねてみよう とこのメールを差し上げるしだいです
これが私のブログの問題の記事なのですが どうでしょうか ご覧になってはいなかったでしょうか?http://ameblo.jp/yamasaki117/entry-10176661258.html
今ご覧になってどうだったでしょうか?私も一見の記憶で書いておりますので真偽に問題はございますが その言わんとするところを感じ取っていただけたなら幸いです
私は日蓮と創価学会のあいだに因縁というか業とでも呼びたいものを感じています もしそちらさまにお許しいただけるなら 日蓮の問題と創価学会のことなので皆様におうかがいしたいことがあるのですが
申し送れましたが 私は山崎一夫と申します 神様ってなんだろう? 私はどうしてこのようにあるんだろ? と 埒もないようなことをずっと考え続けてきている者です 自身では自分を神学追及者だと思っております
法華講 寿照寺支部の皆様に私がどう見えるかは分かりません 私からは現在のあなたの心がほとんど見えません 見えていたのは創価学会へのメッセージだけでした そうではないでしょうか 他を見ても並んでいるのは日蓮大聖人を奉るものだけでしょう まあ もちろん それはけっこうです 信教の自由です それは相手が創価学会の人であっても同じことを言うでしょう 教団の信徒でない私にとっては興味を引くものではありません 私は神学追及者として日蓮と創価学会の問題に興味があるのです
私は自身の神学上の見解から日蓮の行為を否定するものです けれども一人の人間としての日蓮のことはよく分かりません 日蓮は何のためにあんなに熱心に信徒を増やしていたんだろう? 日蓮の当時の行為は現代の創価学会の行為と同じ類のものに見えます 内部にいる方にはこれはとても見えにくいことかもしれませんが 外部の者には同じに見えます 日蓮とか創価学会とかの歴史的イメージや社会的イメージに惑わされずに単純にそのやっていたことだけをとれば同じです どんどん信徒を増やして教団が大きくなって引っ張っていった教祖は結果どちらも信徒から偉く奉られる存在になっています 形だけを見ればよく似ているんです そのあたりの話をおうかがいしたいのです
法華講 寿照寺支部の皆様 私はあなたの敵ではないつもりです そして今 あなたが私を敵だと思わないことを願うばかりです失礼しました ご返事 お待ちしております
なお このメールは私の神学追及者としての表の顔(というほど社会に知られているわけではありませんが 小なりといえどもというところです)から法華講 寿照寺支部の表の顔に対する問い合わせですので かってながらネット上で公開させていただきます また 皆様からのご返答についてもやはり私は特に公開できない事情を持つ内容でない限り公開させていただきたいと考えています
2008年12月12日 山崎一夫
0 件のコメント:
コメントを投稿