2009年1月12日月曜日

実践的に と意識しています

金剛峰寺 中村光観様
丁寧な回答 ありがとうございます その回答とそして金剛峰寺ホームページの記事を参考に自身のブログに記事を書きました 私としては想念というもの表現したくて書いたのですが その話の前においた三摩地や入我我入に対する私の解釈に誤解があるとこの後トンチンカンなことになってしまいますので 確認しておいていただけないでしょうか
瞑想 密教 想念

自分の体験の中での思い違いやフィクションの中でのそれなら どうということもないのですが他人様の記事にリンクしてそれを基に全体の記事を構成しておりますので そして今後もそれを前提に話していくつもりでおりますので すいませんが確認しておいていただけるとありがたいです

それからこれはその記事内容と関連するのですが お坊様というのは普段どういう生活を為されているんでしょうか?すいません 質問の仕方が難しいのですが 私はお寺というものをほとんど知らないのです 現実にはお寺のこともお坊様のことも何も知らないのですよ 知らないにもかかわらず 世間一般のお坊様のイメージは私にもあるわけです その世間のイメージを頼りに自分の記事を書いているところもございます もし よろしければ現実的なところを教えていただければありがたいです

あの それから その記事で空海を登場させておりますが それはもちろん私の想像上の空海ですのでおゆるしくださいますよう  



それから光観様のメールにもありましたが 実は「密教と真言宗」の記事の中で最初に一番強く私の目を惹いたのも最後の部分でした それをみて真っ先に浮かんだのが では具体的にどのようにすればそれが実践できるか?という問いでした でもそれを直接の問いとして高野山にぶつける気にはなりません それを言葉で問うてまともな応えが返ってくるとは思えないので 何より 私が一番恐れているのは この対話が空論に落ち込んでしまうことです それだけは避けたいので だから それを言葉で問うことはしませんが 私がこの対話でもっとも念頭に置いているのはそのことです

ぶっちゃけて言うと どこかでやっている教義うんぬんでの 仏法対決 みたいなのは御免です そういうのを公開で堂々とやって勝った負けたと言ってる人を仏様が見たら笑うんじゃないか と思うので それとも哀れむかなあ 
この人たちは仏様(仏様の定義は違うにしろ)を偉いものだと思っている それははそうなのかもしれませんが どうも彼らはその教義をどれだけ知っているかによって自分も仏様に近づいた だから自分も偉い と考えているように見えてしまう それって違うんじゃないか?と思ってしまったりします 私は仏様じゃないしほっとけばいいんですがなぜか気になります 何とかできるなら何とかしてみたい と思ったりもしてしまうのです

私は神学と私が呼ぶものに興味を持って行なっているわけですが 私はその実践者のつもりでいます 文学には作家と評論家がいますが神学にも実践と研究があるかと思うのです その場合 私は明らかに前者の志向が強いものです 自分のなかにある思いを実践したいと思っています このメールでの対話を公開でお願いしたのもその思いがあるからです ご理解いただければ幸いです そのうえでお付き合いいただければ幸いです 
私のブログを見ている人はおそらく私たちの対話も見ていると思います 現在の読者は200人ほどですが見ても見えない聞いても聞えない人はあまりいないと思います 理解する人が多いと思います 私たちの対話から何かが伝わればと思ったりします ご理解いただければ幸いです

ところで 私はブッダにしろキリストにしろ教義には特に深い感心は持っていないんです このことについては今度ブログで話をするつもりなんですが 同じように真言密教の教義にも特に関心はもっていなかったのですが ごめんなさい だからホームページの記事も最初は読んどかなきゃいけないだろう ぐらいの気持ちで見ていただけだったのですが 今はこの数日間で思いもよらず真言密教の教義を部分的にでしょうけれど理解したのかもしれないと思います その内容の深さをどこまで理解したかはわかりかねますが 筋道としては理解したかもしれないと思います ブログにも詳しい人からのコメントがあったりして 面白いです この数日の流れから不可思議なものを少し感じています 実践とも研究とも最後は分別できないところに行くのかもしれません 私は途上だ 登っているところだ と意識しています 失礼しました

                                       2009年 1月 12日                                                      
                                             山崎一夫

金剛峰寺 中村光観様

ヒマラヤ バシストの山崎です この前メールを送らせていただいてから一ヶ月を過ぎましたが 特に何のお返事もいただいておりません
私はどうすればいいかと ちょっと困っています お察しいただければ幸いです

                                               2009年2月 16日
                                               山崎 一夫


山崎一夫様
ご無沙汰しています。金剛峯寺の中村です。

先日の「実践的に」のメールを拝見して、山崎様がおっしゃった内容には、
ご自身がある程度解答を見つけたのではないかと思い、あえて返事をしなくても
ご了解いただけるのではないかと判断した部分があります。
ご気分を害されていらっしゃったのでしたら、お詫び申し上げます。
しかし、ご連絡をいただいて、よくよく読み返してみて、返答すべき部分は何かを考えてみました。


最初の方の文章にある聞きたい部分は、おっしゃる通り解答しなくてもいいと判断しましたし、
お坊さんの生活と言われる部分については、それぞれに異なっています。例えば私などは
本山に勤めていると言っても、日々は事務系の仕事がほとんどですから、一般のサラリーマンとあまり変わりません。
山崎様がおっしゃる「お坊さんの生活」というのは、おそらく早朝から起きて朝の勤行、堂内の清掃
から始まり・・・といったイメージではないでしょうか?
ご期待に添って解答などというのはかえって失礼にあたりますから、この部分については解答を保留させていただこうと考えました。
実践ということは実際は非常に難しいところであるし、その点も山崎様はご自身で経験されていらっしゃるようです。
拙宗では、教相と事相という言葉があります。教相は教義を学ぶこと、事相は実際の修法を学び実践すること。
これは修行を行う段階で進めていくのですが、どちらが欠けてもいけないとされており、バランスよく学んで実践して自身に功徳を積み、
利他行を行っていくための礎にしていくということです。



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高野山真言宗・総本山金剛峯寺

総務部 総務課  中村光観

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