2009年3月10日火曜日
2009年3月3日火曜日
事相に大麻を、、、
金剛峰寺 中村光観様 インドの山崎です
かなり強引な手法で公開対話に引っ張り込んでいる という思いが私の中にありそれが微妙な形で言葉に表れていたかと思います 申し訳ありません 今は少し落ち着いたように思います マイペースで話します ごめんなさい
中村様 私という個の魂は教義というものにあまり興味を持っていないようなのですが にもかかわらず話をしていることによって なんだか真言密教を理解し始めているのかもしれない私がいてとても面白く感じています
私のその部分での実践と言うのは 端的に言えば好きでやってるというだけなのです 例の体験をきっかけに神って何だ? 私はどうしてこのようにあるのだ? それを私が自分にできる方法で追求していったらそうなったというだけなのです そしてどうやら私の魂は物語に惹かれるらしい 私の心にあるのはブッダでもキリストでも教義的な部分ではなく物語り的な部分です ご理解いただけるかどうか分かりませんが漫画やドラマの主人公を覚えるように彼らを覚えているというところなのです そういう傾向の魂を持つ私は教義と言うものに関心を持たない 大事なものかもしれないことは理屈では分かっても当の私はその気にならない というところだったのだのですが その私が言うのも変かもしれませんが 教義と言うのも大事なものかもしれないと思いだしています
実際的な話に置き換えるならば私は大麻の過剰摂取を行うことによってその実践をしているわけですが それは自分が好きでやっていることで 論理よりも自分の直感でやっていることです それは今もそうなのですが 振り返ってみるならば私はラッキーだったかもしれないと思います 大麻は使用者の感性を刺激します そこから大麻の薬理効果と呼ばれるだろうものが現れるのですが 私の場合感性が刺激されることで自分の視点が変わる 今まで絶対だと思っていたものがそうではないことに気づく そのことによって私の世界観や自分観といったものが変化してそして今現在の私があります
その私は結果として密教で言うところの三摩地などを体験実践しているということかもしれません 中村さんのお話から そしてまたブログのコメントで教えてくれる人もいてどうもそういうことらしいと理解した次第です
私は真言密教を実践しようと思ってやっていたわけではありませんので 当然教義も知りません 真言密教の視点から見れば私のやっていることはとても危険で邪道かもしれません 一般論で考えても私はラッキーだったのだと思います
今回のメールでお尋ねしたいのは次の2点です
真言密教のほうで三摩地などを実践するのに何か特別な手法のようなものはあるのでしょうか?
私としては大麻に代わって自分の精神状態を押し上げる手立てがあればとても助かるのです そういうものがあれば私も試してみたいので教えていただければ幸いです
もうひとつは
真言密教の三摩地などを実践するのに 大麻を使うことを考えてみてもらえないでしょうか?
このふたつ目の問いかけが今回のメールの本案です 以下 関する話を続けます
一般には大麻を嗜好品として使う人が多いのだろうと思います 感性がアップしますので見るもの聞くものが面白くなるだろうし味覚もアップする 嗜好品として使っている人はそれを楽しんでいるのだろうと思います でも大麻の効果はそれだけではとどまらない 大麻は人を内省的な方向にもっていきます そのとき使用者によって反応が分かれるでしょう そこで親和できる人と親和しにくい人に分かれるのだと考えられますが 嗜好品として使うのではなく初めからそれを目的に使うという方法があります
嗜好品として楽しむためにではなく初めから自分を見つめなおすために使うんです 瞑想のために使う 自分を知るために使う 精神集中して想念を読み取るために使う 大麻はそういう使い方ができます
一般に大麻は酒や覚醒剤と違ってその使用者の心を暴力的な方向には導きません 大麻使用者は他者に対して暴力的にはなりませんが使用者自身に対してはそうならないとは言い切れません 大麻は人の感性をアップさせるとともに人を内省的な方向にもっていきますから 意識の変容 自分に対する認識が変わることを歓迎できる人受け入れられる人はOKなのです それぞれに楽しめるでしょう でも世の中にはそうではない人もいます 自分を見つめなおすことを拒否する人がいます 自分を見つめなおすとその人の自我にとって都合の悪い人たちもいるでしょう そこが大麻に親和しやすいかどうかの鍵です
私的な言い方をするならば 私がブログで使っている言葉で言うならば 負のカルマを持っていなければ大丈夫なのです その人がどのような業を背負っているか それ次第なのです 大麻の効果はその人の心の在りようで変わってしまうのです
すいません 少し突き放したな言い方をさせていただきますが 私はお坊様だからといって必ずしも聖人であるとは思っておりません 私 府中刑務所にいるときに右翼だかの偏見思想ガチガチの人を見る機会がありました 彼は恐喝で捕まっていたようですがこんなことを言っておりました 「私は正しい心の持ち主である だから坊主になるのだ」 彼の言葉はやたら無駄に長いのですが要点はそういうことでした 分かりやすい人でした 見ている私からすればそれは自己欺瞞以外の何ものでもないのですが 当人が欺瞞だと気づいていればまだしも おそらくはそんなことは考えたくない もし仮に誰かが彼の話をそういう方向に向けようものなら彼が烈火のごとく怒り出すだろう事が容易に想像できました 相手をする刑務官は答えていました 「分かるよ お前はほんとはいい奴なんだ それを証明するためにお坊さんになるんだよな がんばって精進してな」 一部始終の会話を聞いていた私はそれがそのときのベストの回答だと思いました 彼が本当に坊さんになったのかどうかは知りませんが 自己欺瞞は程度の差はあれ誰にもあると考えるのが自然でしょう お坊様だからと言って例外にはなりません
一般論からすればお坊様だから 大麻を使っても大丈夫ということにはなりませんが 宗教目的で使うとなれば話は変わります
真言密教を実践するために使う となれば話は変わります といっても 自分を過信するのは怪我の元です 生意気な言い方になるかもしれませんが三摩地を実体験することを軽く考えてはいけません 自己欺瞞はそれが強い人ほどそういう自分に気づかない 繰り返しますが程度の差はあれ 自己欺瞞は誰にもある 自己欺瞞の強い人が大麻を使えばその反動も大きい 自分を見つめなおすために使うという大儀も助けになるとは限りません しかし真言密教を実践するために大麻を使うのならば 三摩地を実体験するために大麻を使うのならそのとき必ずあなたを助けるものがあります それが教義です
大麻は使用者の心を反映します あなたが大麻で楽しむことを目的として大麻を使っているときに楽しみとは相容れないものが心にわきあがってきたなら うまく対処できないかもしれません 私たちは通常バッドトリップと呼ぶのですが 要するに自分をコントロールできない 自分をコントロールする それは当たり前じゃないか と思われそうですが これが以外に難しいのです なぜならそれは大麻の効果による意識の変容があり その結果起こっているからです 自分の意識が変容しているときに自己コントロールするのは まあ 難しいと思います 私はラッキーでした
大麻は使用者の心を反映します 高野山のお坊さんが真言密教を実践するために 三摩地から入我我入を目指すためにそのアシストに大麻を使うのなら 何の問題もありません 大麻をアシストに使うと感性のアップを実感するでしょう 大麻の嗜好品としての価値に気づくと思います それについてはお好きなように 無視して禁欲的に進むもよし 余禄とそれを楽しむのもいいと思います この道に分け入っていくなら できるだけ自然体でいるほうが楽なのです あなたにとっての自然体でいてください 生意気なのは重々承知でこの道を来た者として言わせてもらうなら どうせ後になって振り返ればあのときの私は自然体だったとはいえないかも と苦笑いするようなことになるでしょう どのみちあなたは混乱するでしょう 程度の多寡は人によって差があるでしょうが混乱するだろうことは間違いない だってあなたは入我我入を目指すのですから ブッダと一体になる 自分の中にブッダを受け入れる そういう言葉には甘い響きがあるかもしれませんが 言葉を変えればそれは自分ではないものを受け入れるということであって 知らないものを受け入れるということであって 当然そこにはそれまでの自我と新しくやってきたものをどうやって折り合いをつけるかのせめぎあいが起こります それを乗り越えた後に新しい自分が再生される
その際には程度の差はあれ誰もが混乱しますよ そのときに完璧な自己コントロールなど無理でしょう 意識が変容している それまでの価値観が絶対ではなくなっています 自分の行動指針が崩れかけています 対処が難しいでしょう でも そのときあなたを助けるのが教義です これは一般論ではありません
これは一般論ではありません 教義が助けとなるのはあなたが高野山のお坊さんだからです 教義を当たり前のように知っているでしょう どのように理解しているのかは知りませんがあなたの心の中心からそう遠くないところに教義をおいているでしょう それをどう思っているかは知りません でも身近にあるでしょう その環境が結果としてあなたを助けることになるでしょう
その際にはあなたが見慣れていた教義が違って見えてくるかと思います そうですね もしあなたがとても優秀な方で教義を誤解することなく理解していたとしても それでもその際には同じには見えないと思います それはその際に感じている実感があるからです
すいません 教義のことをろくに知らない私がこんなことを言うのは邪道の反則かもしれませんが
自身の経験からの話です 私の視点からの話です 自分の思惑を超える神秘体験に出会うと人は混乱します それはUFOを見るの等とは比べ物になりません 私つい最近不思議なものを見たのですが目に見えるもの耳に聞えるものと言うのは不思議なものでもそれなりに納得するものです でも目に見えない 聞えるわけでもない なのにそこにある というものに出会うと混乱必至ですよ だってどうやってどうやって自分を納得させればいいか それすら分からない 三摩地を実体験するというのはそういうものですよ 私はラッキーでした いろいろな意味で
でも高野山のお坊さんがその道を目指すなら 私よりラッキーだと思います 教義があなたの身近にあるからです 私は教義に代わるものを出会った人たちから自分の運命の中から手探りで見つけてそれを参考にしながら来たのですが あなたの場合はまさにその環境の中にいる
教義のことをよく知らない私が言うのは邪道の反則技なのですが この道を行こうとすると とどのつまりは自分なのですよ
自分を別の視点で見ることは自分を客観視することにつながるだろうし 本当に入我我入を目指すならその前に自分の背負っている業を清算しなければいけないことを知るでしょう 誰にだってその人固有の人生があるわけですがあなたの場合かなりの部分が高野山真言密教がらみでしょう 高野山のお坊さんが入我我入を目指すということはその過程のうちに真言密教と自分の関係を見つめなおすという作業が必然的に組み込まれます ラッキーですよ さっきも言いましたがその際には見慣れた教義が違って感じられると思います
教義のことをよく知らない私が そのよく知らない教義を保証するのは邪道の反則技ですが とどのつまりは自分なのです
私は弘法大師空海と勝負しようとは思いません あなたは高野山のお坊さんなのですから 例えサラリーマンと似たような生活をしているにしろあなたの中には 高野山の坊主である というIDが組み込まれているはずです あなたという存在と勝負しようなどとは思いません あなたを未知の迷妄から守るのはあなた自身が信じるものです 私は高野山真言密教の教義と勝負しようとは思いません
ただその際には私の言葉も少し思い出していただけると私としてはうれしいのですが、、 大師様の教義には遠く及ばないでしょうがひとつだけ私に有利なのは私の言葉は1000年以上前のものではなく同時代にいる今のものだということです その際には 教義のことを見つめなおす合間に私の言葉も思い出していただけると きっと違って見えてくるかと思います
まとめです
私が言いたいのは大麻はブッダを目指すあなたをアシストできるということです それを言いたいために それを表現したいがために長い文章になりました 失礼になるだろう言い方があるのは自覚しております 申し訳ありません 高野山真言宗の事相に大麻を使うことを検討してみていただければ幸いです
ちなみに
大麻は日本では非合法で販売はもとより栽培や個人所持も禁止されていますが 大麻免許という制度がありそれを持っていると合法的に大麻の栽培や研究目的での使用ができます 大麻免許は都道府県知事が認可するのですが現実に個人が大麻免許を申請してもほとんど認可されないと聞いています けれど高野山真言宗が宗教目的で申請するとなると個人が申請するのとは様相が違ってくるだろうかと思います
最後は少し先走る話になりますが
お坊様たちがごく当たり前に大麻を使いこなせるようになれば 今度はそれをお坊様本来の務めにも役立てられることに気づくと思います 利他行につなげられます
どうもそっけない文章ですいません
2009年 3月 3日 山崎一夫
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